一年中着られる白いブラウスには、90センチ四方のスカーフを変化づけて結ぶと、驚くほど生き生きしてきます。日ごろから雑誌で研究し、実際にオリジナルを工夫して訓練しておくと自信がつきます。入園式、入学式は子供が主役であると同時に、お母さんたちも主役の日々です。一生のうちで何度かしか味わえない、親子の愛情で結ばれた誇りの日々ですから、親子の愛情が通じる服がいいと思います。子供たちは制服を着せられる場合が多いと思いますが、母親だけが飛び抜けてファッショナブルというのもおかしく、また普段者のままでも美しくありません。おしゃれ着としてもっている何枚かを出してみて、スーツがあれば、これにシックなスカーフを衿元に、きものの衿のように重ねてみると、新しくよみがえるでしょう。また紺のタータン・チェックのドレスがあれば、これにいいジャケットを重ねてみましょう。公的な場に恥ずかしくない、きちっとした気持ちになります。その場合、ドレスは衿元がきちんとしまった形がよく、ジャケットの胸ポケットにはドレスの色の中の1色をポケット・チーフに使うなど、これもアイデアとしてはいいと思います。
アンダーサイズとブラジャーの上辺の長さは比例していますから、ブラジャーが脇に届くまでアンダーサイズを上げていくことが解決策なのです。たとえば、アンダーバストのサイズが72センチの場合、普通のお店ではアンダー70センチもしくは75センチのブラジャーをすすめるのですが、私はあえて80センチのブラジャーを着けていただくことがあります。平たい体型の人の場合、実際のアンダーバストよりも8センチも大きいブラジャーが、脇までしっかり届き、脇から後ろのほうへ押しやられたかわいそうな皮下脂肪たちを、やさしく言い聞かせて連れ戻すのに、最適なこともあります。その場合、当然ながらアンダーを小さくするお直しが必要です。
リネンはシルクと覇を争うが、やがて安価なコットンが登場すると、その座を脅かされることとなる。フランスでは1697年から1715年までの間に、何度もコットン禁止令が出された。何度も禁止令が出されたということは、それだけ効き日がなかったということだろう。ポンパドゥール夫人にいたっては、別荘のすべてに禁制のコットンをあしらったことを自慢したほどなのだから。もうひとつ、18世紀には白い布が特別な地位をあたえられたことも特筆すべきだろう。プロシア(ドイツ帝国)の上流階級を中心として、純白の生地が婚礼用に急速に普及した。シャツの歴史を振り返るとき、襟のかたちの変遷を指摘しないわけにはいかない。初期のTシャツ状のほとんど襟のないものから、16世紀後半になると大きな変化が生じる。巨大な裴襟が登場するのだ。麻などの薄い布を細長く裁って糊付けし、それを装状に加工して首に巻くようになった。フランドル地方では堅牢な装襟が、スペインや英国ではレースの繊細なものを重ねることがトレントとなった。1540年頃に歴史に登場するレースは、ベルギーのフランドル、イタリアのヴェネツィアやペンネ、フランスのアラソンなどで素晴らしい工芸品に発展した。17世紀になると裴は消えたものの、襟の巨大化=誇張化は残り、いかに豪奢なレースで首元を飾るかが競われた。19世紀前半のダンディズムの時代は、襟腰の高いものが流行る。